東京地方裁判所 平成3年(行ウ)252号 判決 1993年2月04日
原告
灰孝小野田レミコン株式会社
右代表者代表取締役
山内敏宏
右訴訟代理人弁護士
畑守人
同
中川克己
同
福島正
同
松下守男
被告
中央労働委員会
右代表者会長
萩澤清彦
右指定代理人
青木勇之助
外四名
被告補助参加人
全日本運輸一般労働組合
関西地区生コン支部
右代表者執行委員長
平岡義幸
右訴訟代理人弁護士
玉木昌美
同
野村裕
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が中労委平成二年(不再)第一号事件について平成三年一一月六日付けでした命令のうち主文第一項前段を除く部分を取り消す。
第二事案の概要
本件は、被告補助参加人が原告を被申立人として申し立てた滋労委平成元年(不)第一号不当労働行為救済申立事件につき滋賀県地方労働委員会が発した別紙(一)の命令(以下、「初審命令」という。)に対する原告からの再審査申立て(中労委平成二年(不再)第一号事件)を受けた被告が発した別紙(二)の命令(以下、「本件命令」という。)につき、原告が請求記載の取消しを求めた事案である。
当事者間に争いがない事実は次のとおりである。
一当事者等
1 原告は、建築材料の製造販売等を目的とする資本金四〇〇〇万円の株式会社であり、肩書地に本社を置き、滋賀県下に大津工場及び栗東工場の二工場を有し、従業員数は、本件初審審問終結(平成元年一〇月二七日)当時七一人(本社三人、大津工場四六人、栗東工場二二人)であった。
2 被告補助参加人は、セメント・生コン産業及び運輸一般産業で働く労働者で組織された全日本運輸一般労働組合の組合員のうち、関西地区で働く労働者で構成されており、その組合員数は、本件初審審問終結当時約一一〇〇人であった。
被告補助参加人は、原告大津工場内に下部組織として灰孝小野田レミコン大津分会(以下、「被告補助参加人大津分会」という。)を結成しており、同分会員は、本件命令発令当時原告大津工場で稼働する松木和雄及び柴原俊正の二人であった。
二他の労働組合の存在
1 原告には、被告補助参加人以外に、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(以下、同労働組合も同支部も「連帯労組」と略称する。)と連合交通労連関西地方総支部生コン産業労働組合灰孝小野田レミコン支部(以下、同労働組合も同支部も「連合産労」と略称する。)が存在する。
2 連帯労組は、大津工場に灰孝小野田レミコン大津分会を、栗東工場に灰孝小野田レミコン栗東分会を結成しており、その組合員数は、本件初審審問終結当時大津分会が一四人、栗東分会が四人であった。
3 連合産労の組合員数は、本件初審審問終結当時大津工場に九人、栗東工場に一人であった。
三他の労働組合に対する組合事務所の貸与
1 原告は、被告補助参加人以外の労働組合に対し組合事務所を貸与した。
すなわち、
(一) 連帯労組大津分会に対しては大津工場内西側入口付近に、同労組栗東分会に対しては栗東工場内に、それぞれ組合事務所を貸与していた。
(二) 連合産労に対しては、大津工場内と栗東工場内とにそれぞれ組合事務所を貸与していた。
2 これらの貸与の経緯は、次のとおりである。
(一) 昭和五五年六月三日、全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部灰孝小野田レミコン大津分会が原告の従業員二五人で結成され、同分会は、原告に組合事務所等の貸与を要求した。原告は、同月一二日の団体交渉でその貸与を約す協定を締結し、大津工場内西側入口付近に組合事務所を新築して同年八月一日からこれを貸与した。
昭和五八年一〇月、同分会の松木和雄を除く二〇人の組合員らによって運輸一般関西地区生コン支部労働組合(以下、「運輸一般労組」という。)灰孝小野田レミコン大津分会が結成された。被告補助参加人と運輸一般労組とは、それぞれが全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部の正当な継承者であると主張していたが、右大津工場内の組合事務所は運輸一般労組が使用するようになった。
昭和五九年一一月二〇日、運輸一般労組は連帯労組と、運輸一般労組大津分会は連帯労組大津分会と改称した。
昭和六一年九月、栗東工場の従業員四人によって連帯労組栗東分会が結成され、同労組は、原告に対し、同工場内においても組合事務所を貸与するよう要求した。これに対し、原告は、大津工場内に貸与している組合事務所のみで足りると主張して、右要求を一旦は拒否したものの、同労組が強く要求したため、昭和六二年一月の団体交渉の結果、同労組に対し、同年二月から、栗東工場内にも組合事務所を貸与した。
(二) 昭和五五年六月、滋賀同盟灰孝小野田レミコン労働組合(以下、「同盟労組」という。)が原告の従業員によって結成され、同労組は、原告に対し組合事務所等の貸与を要求した。原告は、団体交渉を経て、間もなく大津工場内の倉庫を一部改装して同労組に貸与した。
昭和五六年六月、同労組が同盟交通労連関西地方総支部生コン産業労働組合灰孝小野田レミコン支部(以下、「同盟産労」という。)と改称したが、右組合事務所は引き続き同産労に貸与された。
昭和五七年三月、同産労は、栗東工場に勤務する組合員が一五人おり組合役員が同工場から選出されているから大津工場の組合事務所だけでは不便であるとして、原告に対し、栗東工場内においても組合事務所を貸与するよう要求した。これに対し、原告は、団体交渉を経て、同年八月、栗東工場内に組合事務所を貸与した。
昭和六〇年ころから栗東工場に勤務する同産労の組合員が順次脱退した結果、昭和六一年九月には同工場の同組合員が一人になり、原告は、同産労に対して、同月一一日、栗東工場の組合事務所の返還を求め、同月二八日に団体交渉をしたが、返還させるには至らなかった。
昭和六二年一一月一五日、同盟交通労連関西地方総支部生コン産業労働組合が連合交通労連関西地方総支部生コン産業労働組合と名称変更したことに伴い、同盟産労は連合産労と改称した。
四被告補助参加人の原告に対する組合事務所貸与要求の経緯等
1 前記のように昭和五八年一〇月ころ以降、運輸一般労組組合員と被告補助参加人組合員の松木とは、双方ともが全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部の正当な継承者であると主張して争っていたが、その後、個別に原告との団体交渉を行うようになった。昭和五九年二月二七日、被告補助参加人は、原告に対し、運輸一般労組が使用していた組合事務所等を原告の責任で取り返してほしい旨の文書を提出し、これに対し、原告は、あくまで労・労間の問題であるから当事者間で解決するよう回答した。
2 その後、被告補助参加人は、新たに組合事務所の貸与を求めることに方針を変更し、昭和六三年四月一一日、原告にその旨の要求書を提出した。同月一九日に団体交渉が開催され、原告側は岩見三吾運輸部長が対応し、被告補助参加人の組合事務所貸与要求に対し、一人組合には貸与できない、また、金も場所もないとして貸与を拒否し、交渉は物別れに終わった。同年六月二七日にも、同様の団体交渉が行われたが、結果は同様であった。被告補助参加人は、その後、再度、組合事務所の貸与を申し入れ、同年七月二一日にも団体交渉が行われたが、原告は、右申入れを拒否した。さらに、被告補助参加人は、同月三〇日、原告に対し、組合事務所の貸与を求める書面を提出したが、原告は、これに対して回答しなかった。
3 同年八月一日、原告の従業員であり、非組合員であった柴原俊正が被告補助参加人大津分会に加入し、同分会員は二人になった。そこで、被告補助参加人は、同月二二日、団体交渉要求書等とともに、同人の加入通知書を原告に提出した。すると、原告は、右加入通知書のみを原告の掲示板に貼り出した。従来は、組合員の加入脱退につき、原告に文書で通知しても、それが掲示板に貼り出されることはなかったため、翌二三日、被告補助参加人は、原告に対し、右加入通知書の掲示に関する質問状等を提出した。翌二四日に行われた団体交渉の席上、岩見部長は、右加入通知書は労使慣行に疎い江口労務部長が貼り出した、また、組合事務所の貸与は拒否する旨回答した。その後、組合事務所の貸与問題に関しては、同年九月二六日、同年一〇月一四日、同年一一月二日、同年一二月九日にそれぞれ行われた団体交渉においても、原告の態度は変わらなかった。この間、原告は、組合事務所貸与を拒否する理由として場所がないという理由を示したので、被告補助参加人が更衣室、卓球室、倉庫等の場所を指摘したが、原告は、いずれも拒否した。また、原告は、他組合に対する組合事務所貸与に関する協定書があるのであれば見せてほしいという被告補助参加人の要求に対して、現在、協定はなく、これから締結していく旨回答した。
五組合掲示板等の便宜供与に関する各組合間の格差等
1 原告は、他組合には組合掲示板をも貸与していた。
右各貸与の経緯は、次のとおりである。
(一) 原告は、全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部灰孝小野田レミコン大津分会に対し、その結成直後である昭和五五年六月、同分会の組合掲示板貸与の要求に応じてこれを同工場内に貸与し、また、同盟労組に対しても、その結成後間もなく、組合掲示板を大津、栗東各工場内に貸与した。
(二) 全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部灰孝小野田レミコン大津分会として使用していた大津工場内の組合掲示板については、組合事務所と同様、昭和五八年一〇月以降、運輸一般労組大津分会が使用するようになった。そして、昭和六一年九月に栗東工場に連帯労組栗東分会が結成されると、原告は、その要求に基づき、栗東工場にも組合掲示板を貸与した。
2 原告は、被告補助参加人に対し、当初は組合掲示板の貸与を拒否し、その後、本件初審命令後これを貸与したが、その経緯の概要は、次のとおりである。
昭和六三年四月以降、被告補助参加人は、原告に対し、組合事務所とともに組合掲示板の貸与を要求していたが、原告は、当初は、組合掲示板についても一人組合には貸与できないと回答していた。しかし、同年八月に柴原が補助参加人組合員になった後、同年九月以降、組合掲示板については貸与する方向で検討中であると回答するようになり、同年一〇月一四日の団体交渉において、原告は、組合掲示板貸与の条件として掲示の前に掲示文書について原告の許可を受けるべき旨の組合掲示板に関する協定書案を提示し、その後の団体交渉においても右許可制については譲らなかったが、その後曲折を経て、組合掲示板貸与を命ずる初審命令後である平成二年二月二六日、被告補助参加人との間で「組合掲示板に関する協定書」を締結して同年四月一八日に組合掲示板を設置した。
他方、連帯労組及び連合産労に対しても、原告は、平成元年四月一四日、被告補助参加人に示したのと同様の内容の前記協定書案を提示し、同年七月二〇日、連合産労は、これについての団体交渉を経ることなく、そのままの内容で受け入れて協定に調印した。
3 なお、原告は、大津工場の連帯労組及び連合産労の組合事務所には、郵便ポスト及び電話機を設置し、また、各電話の基本料金及び通話料金を負担していた。右のうち、連帯労組の各組合事務所に設置してある電話機については、平成元年一一月一六日、通話料金が異常に高額となったことを理由に使用を中止させる措置をとった。
4 また、昭和六三年の年末一時金について、原告は、「昭和六三年度年末一時金に関する協定書」の案を作成し、連合産労及び非組合員は、これを受け入れて同年一二月一五日に一時金の支給を受けた。しかし、被告補助参加人は、同月九日の団体交渉の席上、一時金交渉を合意するための資料提供を求めたが、そのまま放置され、その後、右協定書案中、年次有給休暇を欠格控除項目とする点を違法行為であるとして抗議し、その後、原告は、労働基準監督署の指導を経て、平成元年三月三〇日付け協定書において右控除項目から年次有給休暇を削除することを認め、その一時金の支払をした。
六連合産労栗東事務所の返還と同大津事務所の返還協定
1 原告は、平成元年四月二六日の連合産労との団体交渉の席上、栗東工場の同組合員が一人になったという理由で組合事務所の返還を求め、これに対し、連合産労は、検討する時間を与えてほしいと回答した。そして、同年五月一一日、一二日の連合産労支部長と原告の広瀬次長との交渉を経て、同月一三日に、栗東工場の連合産労組合事務所が返還された。もっとも、右返還については、同月一六日付けで連合産労の上部団体が「組合事務所の明け渡しを強要!」と記載したビラを発行し、また、同年六月には連合産労の右支部長が更迭された。
2 また、原告と連合産労との間では、平成三年四月一二日付けで大津工場内の組合事務所を同年六月一〇日限り返還する旨の協定が成立した。もっとも、右返還の履行は遅延し、右履行期限後に明渡しが行われ、当該建物は間もなく解体された。
七本件命令の発令
被告補助参加人は、原告を被申立人として、平成元年三月三〇日、滋賀県地方労働委員会に対して救済申立て(滋労委平成元年(不)第一号事件)をし、同地方労働委員会は、同年一二月二一日付けで、別紙(一)のとおりの初審命令を発した。
原告は、初審命令を不服として被告に再審査の申立て(中労委平成二年(不再)第一号事件)をしたが、被告は、平成三年一一月六日付けで、別紙(二)のとおりの本件命令を発し、本件命令書の写しは、同月二八日、原告に交付された。
第三争点
本件の争点は、被告補助参加人に対する組合事務所の貸与拒否が不当労働行為に該当するか否かであり、これに関して、当事者らはそれぞれ次のように主張する。
一被告の主張
被告の認定事実及び判断は本件命令書記載のとおりであり、本件命令に誤りはない。
二原告の主張
1 連帯労組栗東分会に対する組合事務所貸与について
原告が連帯労組栗東分会に対し組合事務所を貸与したのは、同労組の争議行為の圧力に屈してやむなくしたことである。
(一) 本件命令は、四人で結成された連帯労組栗東分会に対し組合事務所を貸与していると指摘する。
しかしながら、組合員四人の労働組合に貸与したのであれば、組合員二人の労働組合にも貸与すべきであるという単純な議論は失当である。また、原告は、現に連帯労組に対し組合事務所の返還を申し入れている。
(二) 原告は、もともと連帯労組に対し組合事務所を貸与する意思は全くなかったが、同労組が組合事務所の貸与を要求して大津、栗東両工場で争議行為を展開したので、争議行為による甚大な損害を回避するため、やむを得ず右要求の約半年後に組合事務所貸与に踏み切ったのである。原告が組合事務所の貸与を最後まで拒絶していれば、同労組の争議行為がいかなる展開をみせ、その結果、原告がいかなる状態に陥ったかは、昭和六二年八月以降現在まで続いている原告と同労組の紛争の状況をみると明らかである。同労組に対する組合事務所の貸与は原告の失敗であったかもしれないが、同労組の苛烈な争議行為という特殊事情を度外視して四人に貸与したから二人にも貸与すべきであるという単純な議論は誤りである。
2 被告補助参加人大津分会の組合事務所の必要性について
組合員が二人である被告補助参加人大津分会には組合事務所は必要でない。
(一) 本件命令は、組合事務所の必要性は組合員の多少によるものではなく、会議、連絡等の組合活動の拠点として果たす役割の重要性によるものであるとしている。
原告としても、「会議、連絡等の組合活動の拠点として果たす役割」が組合事務所の必要性の重要な部分を占めることを争うつもりはない。しかしながら、会議を行う場所、連絡を行う場所としての組合事務所の必要性は、組合員の多少によって大きく異なるはずであり、「組合員の多少によるものではない」という本件命令の判断は誤りである。
(二) たとえば、組合員が一人の労働組合であれば、そもそも組合員相互間の会議や連絡ということはあり得ない。上部団体との打合せは必要であろうが、労使紛争時ならばともかく、そうでなければ春闘交渉、一時金交渉等の時期に限られるはずであり、常設の組合事務所を必要とするまでには至らないはずである。
(三) また、複数の組合員を擁する労働組合であっても、二人や三人の場合と二〇人や三〇人の場合とは明らかに異なるはずである。組合員が二人や三人であれば、組合員の自宅や喫茶店、あるいは電話で打ち合わせることも十分可能である。また、連絡についても、二人、三人ならば、メモの手渡しや電話で可能であり、あるいは職場内で呼び止めて連絡することも可能であり、本件においては組合掲示板が既に貸与されているから、これを利用することも可能である。
(四) さらに、労働組合の文書の保管の必要性ということもあろうが、これは必ずしも組合事務所がなくても、たとえば、組合あるいは分会長専用のロッカーの貸与等の別の方法によって容易に実現できるはずである。
(五) また、組合関係の文書、資料等の作成についても、多人数であれば、多数の者の意見を集約しながら文書等を作成したり、あるいは作成した文書等の内容について他の組合員の了解を求めるに際し、組合事務所が必要なことも考えられないではないが、本件のようにわずか二人の組合員では、そうしたことに組合事務所が必要であるとはいえない。
(六) 組合員数が少ない労働組合であっても、組合事務所があった方が便利であろう。しかし、もともと、組合活動の本拠、設備は、労働組合自身の努力によって達成、確保されるべきものであって、使用者から提供を受けるのが当然であるという発想は、それ自体労働組合の本質を放棄した考え方である。労働組合法は、使用者による労働組合に対する便宜供与を原則として不当労働行為として禁止しているのであり、組合事務所の貸与は、例外的に「最小限の広さ」という厳しい制限付きで認められているにすぎない。ことに、本件においては、現連帯労組員に組合事務所を奪われたというのが被告補助参加人の言い分なのであるから、まず、被告補助参加人自身で組合事務所を不法占拠者から取り返す努力をなすべきであり、このことをなさずに、原告に対し新たな組合事務所の貸与を要求し、これを原告が拒否したからといって不当労働行為であるというのは余りにも身勝手な主張である。このような論法によれば、労働組合が二つに分かれれば二つの、四つに分かれれば四つの組合事務所を貸与しなければ常に不当労働行為と指弾されることになる。本件の本質は、労働組合相互間の問題であるとさえいえる。組合が分裂し、組合事務所の取合いになり、取りはぐれた方が使用者に対し新たに組合事務所の貸与を求めているのである。しかも、取りはぐれた組合は、組合員数が従前から一人であり、その後ようやく二人になったにすぎない。本件命令のように考えるならば、労働組合から、一人、二人の組合員が脱退して別組合を結成すれば、使用者はこの新組合に対して直ちに組合事務所を貸与しなければならないということになろう。そのような結論が不合理であることは明らかである。
3 他の組合からの組合事務所の返還について
原告は、連合産労からすべての組合事務所の返還を受け、連帯労組に対しては組合事務所の返還を要求している。
(一) 連合産労組合事務所の返還について
(1) 本件命令は、連合産労の栗東工場の組合員が一人になった後も、二年半にわたり組合事務所を貸与してきた事実があると指摘する。
しかしながら、新たに組合事務所を貸与するか否かという問題と既に貸与している組合事務所を返還させるという問題とでは、次元が異なる。組合員数が減少し、客観的に組合事務所の必要性が消滅したからといって、既に労働組合に貸与してある組合事務所については、組合側も容易に返還に応ずるはずがなく、かといって、実力行使や強制執行等の手段に訴えることは、労使関係を配慮すれば決して好ましいことではない。したがって、使用者としては、粘り強く労働組合を説得していくほかない。本件命令は、原告が連合産労栗東事務所の明渡要求に熱意がなく、いたずらに放置しておいたかのように認定するが、そうではない。
(2) 本件命令は、連合産労栗東事務所の返還が本件救済申立てにかかる被告補助参加人の主張に対抗するためのものであると決めつけている。
しかし、わずか二人の組合員しかいない被告補助参加人大津分会から組合事務所の貸与を求められ、さらに、その救済申立てがなされた以上、原告が連合産労栗東事務所の返還問題について早急にけじめをつけようと考えることは当然のことであり、何ら非難されるべきいわれはない。しかも、原告は、既に昭和六一年九月の時点で、連合産労に対し栗東事務所の返還を申し入れていたのであって、本件救済申立てを受けて初めて栗東事務所の返還を思い付いたというものではない。その実現が遅延したのは、もっぱら同産労側の対応にかかる問題である。
(3) 原告の関連会社である洛北レミコン株式会社(以下、「洛北レミコン」という。)洛北工場内の連合産労の組合事務所は、平成二年一二月三一日限りで同社に返還された。また、原告と同産労との間では、平成三年四月一二日付けで、原告大津工場内の同産労の組合事務所を同年六月一〇日限り返還する旨の協定が成立し、その後、履行された。同産労大津事務所の明渡しの履行時期が協定書記載の期限より遅延した理由は、本件命令発令とは関係がない。救済命令取消訴訟における適法性判断の基準時は、処分時ではなく、取消請求訴訟の口頭弁論期日終結時と解すべきであるが、同産労大津事務所の返還は本件命令の発令前のことであるから、いずれの見解によっても、これが返還済みであることは考慮されるべきである。
(4) なお、右事務所があった建物の敷地は第三者から賃借している土地であり、原告と賃貸人との間のトラブルが長期化したため、借地内の建物の撤去工事に着手するのが遅延したにすぎない。さらに、建物を解体したのは、無用になった建物を撤去して手狭になった駐車場を拡張するためである。また、卓球室の改造費用は一三二万九七八五円であり、これが二〇〇万ないし三〇〇万円であるとする被告補助参加人の指摘は事実に相違する。
(5) 以上によって、連合産労は、組合員数が八人の灰孝支部(大津工場七人、栗東工場一人)も、組合員数が五人の洛北支部も、すべての組合事務所を返還したのである。
(二) 連帯労組組合事務所の返還について
組合員数が大津分会一六人(懲戒解雇し係争中の者六人を含む。)、栗東分会四人、洛北分会七人(懲戒解雇し係争中の者二人を含む。)である連帯労組に対しては、大津、栗東両工場内の組合事務所の返還を要求したが、同労組との労使紛争が昭和六二年以来長期化しており、返還は実現していない。洛北工場内の組合事務所についても同様の状況にある。
そして、原告は、同労組の組合事務所の問題を将来にわたって放置する考えではない。平成三年一〇月以降京都地方裁判所で行われている全面的和解交渉において、原告及び洛北レミコンは、同労組に対して、全分会員の退職と同労組の灰孝グループからの撤退を明確に要求している。同労組は、右要求を拒否しているが、原告としては、同労組との問題について、組合事務所の返還の可否というようなレベルでは考えていない。その結果として、原告は同労組に対し組合事務所の返還を要求していないが、それは、組合事務所を放置する趣旨ではなく、同労組が撤退することにより、組合事務所の問題は必然的に解決すると考えているからである。
(三) 以上のような状況のもとで、社内の最少数組合である被告補助参加人大津分会に対してのみ、新たに組合事務所を貸与すれば、他のより多数の組合員を擁する労働組合に対して不合理かつ不公平な取扱いをしていることになり、他の組合との関係で不当労働行為を構成することは明白であり、原告としてはそのような措置をとることはできない。そして、本件命令が維持されれば、命令及び判決による不当労働行為の強制という問題が生ずる。
4 他組合との差別意思について
原告には、被告補助参加人を他の組合と差別する意思はない。
(一) 前記のとおり、原告は、被告補助参加人大津分会より組合員数の多い連合産労、連帯労組のいずれに対しても、組合事務所の明渡しを求め、連合産労からはその返還を受けているのであり、被告補助参加人大津分会と他の組合とを差別しようなどというつもりは全くない。
(二) 原告及び洛北レミコンは灰孝グループにおける労使関係の将来像を見据えた上で、高度の政治的判断に立って、敢えて、組合事務所の返還を労働組合に求めた。原告及び洛北レミコンは、多くの犠牲の上に得た貴重な教訓に基づき、労働組合にとって必要性の少ない、もしくはそれが低下した組合事務所、あるいは、その利用が適正、合理的に行われていない組合事務所については、企業にあるべきではないとの明確な認識に至っている。そして、その理念を貫くためには、被告補助参加人も連合産労も連帯労組も何ら区別するつもりはない。仮に、原告が連合産労を優遇し、被告補助参加人を差別しようというのであれば、敢えて連合産労に既存の組合事務所の返還までも強く求めるはずはない。また、連合産労からの組合事務所の返還が実現したのは、同産労の労働組合としての姿勢が弱かったためというより、原告側の決意の強固さの結果であり、それが同産労の譲歩と和解を引き出したというべきであろう。
三被告補助参加人の主張
1 連帯労組栗東分会に対する組合事務所貸与について
原告の連帯労組栗東分会に対する組合事務所貸与は、同労組の争議行為のためではない。
すなわち、原告が同分会に組合事務所を貸与したのは昭和六二年二月のことであるが、原告に対する同労組の争議行為が激しくなったのは、原告自身の主張によっても明らかなとおり、同年八月以降のことであって、争議行為と組合事務所貸与とは関係がない。争議行為による損害を回避するためにやむなく同分会に組合事務所を貸与したとの原告の主張は虚偽である。
2 被告補助参加人大津分会の組合事務所の必要性について
組合員数が二人であっても組合事務所は必要である。
すなわち、原告は、労働組合活動が春闘交渉、一時金交渉等に限られるかのような発想に立って、会議や連絡についての組合事務所の必要性を論議しているが、組合事務所は組合活動の拠点として日常的に必要である。とりわけ、被告補助参加人の場合、生コン労働者の置かれている状況を踏まえ、情勢に応じて原告と切り結び、組合員以外の労働者に対する啓蒙等の日常的な活動を行っている。しかも、原告は、文書による警告等を好み、次々と組合攻撃を仕掛けてきており、被告補助参加人としては、日常的に機敏に対応することが必要である。原告との文書の応酬を喫茶店で作成したり、立ち話で打ち合わせたりすればよいなどという原告の主張は論外である。
3 他組合に対する組合事務所の返還要求について
連合産労の栗東事務所の返還等は被告補助参加人の主張に対抗するためのものにすぎず、連帯労組に対しては返還要求すらしていない。
(一) 原告は、連合産労の栗東事務所の返還について、使用者としては粘り強く労働組合を説得していくほかないなどと主張するが、栗東工場の同組合員が一人になった後、二年半の間、その主張のような説得をした形跡は全くなく、同事務所の明渡しについての熱意はおよそなかった。文書による申入れや警告をしばしば発している原告が、同産労に対して、この期間何らの働き掛けをしていないことは注目されるべきである。
右栗東事務所の返還は、初審命令、本件命令が重ねて認定しているとおり、被告補助参加人の主張に対抗するためのものである。
(二) 連合産労大津事務所や洛北レミコンにおける事情等に関する原告の主張3(一)(3)は、本件命令の適否とは関係がない。原告が同産労から組合事務所を事後的に返還させたとしても、このことによって本件命令の正当性はいささかも損なわれない。
(1) 連合産労大津事務所の返還に関する原告主張の協定書において組合事務所明渡期限とされたのは平成三年六月一〇日であったが、同産労が大津事務所から荷物を搬出したのは、本件命令が発令された後、これが原告に交付された当日である。そして、原告は、女子更衣室を準備するために平成四年一月下旬に卓球室を改造し始め、同年二月には、同産労事務所のあった建物の一階にあるプラント資材を移動し、同年三月には、二階(同産労の事務所の隣り)に女子更衣室があったこの建物自体を解体した。右プラント資材の保管と右女子更衣室設置のための卓球室の改造工事に要した費用は二〇〇万ないし三〇〇万円に及ぶと思われる。この経緯からみて、原告と同産労との間では、初審の組合事務所貸与の命令を被告が維持した場合に右協定書どおりにすることを確認していたことが推測できる。このような異様な対応は、本件訴訟に対する対策として行われたものと解される。なお、これまで、原告は、被告補助参加人に組合事務所の貸与を拒否する理由として、場所と金がないとも主張していたが、右建物の跡は空き地になっているし、卓球室の改造に多額の費用をかけており、原告の弁解は理由がないことが益々明らかである。
(2) 原告は、連合産労の大津事務所の返還が遅延した理由として、敷地の賃貸人とのトラブルがあったと主張するが、これは組合事務所の返還遅延とは関係のないことである。すなわち、原告は、残コン処理機を現在の残コン置き場に設置することを計画し、平成三年三月ころから工事を開始したが、基礎がほぼ完成した時点で地主からのクレームを受けて、同年四月ころ工事を中止した。しかし、同年五月ないし六月ころ、設置場所が洗車場と沈澱槽の間に変更され、そこに新たに工事が開始され、同年八月にはその工事がほぼ完成した。この経緯からしても、本件命令発令前に問題は解決しているから、地主とのトラブルなるものは組合事務所明渡しの履行が遅れたことの説明にはならない。
(3) また、原告は、建物の解体は手狭になった駐車場の拡張のためであると主張するが、こじつけであることは明らかであり、同建物解体によって確保された駐車スペースはわずか二台分であり、周囲の駐車位置関係から車の出し入れは困難であり、ほとんど利用されていない状況にある。また、駐車場の手狭をいうのであれば、自家用車駐車場にスクラップ同然の大型ショベルカーが数年間放置されているのは不可解である。
(三) 原告は、連帯労組に対し、組合事務所の返還を要求済であると主張しているが、労働委員会において原告側の証人自身が大津、栗東両工場内の組合事務所の返還を求めたことが一度もないのを認めているのであり、原告の主張は虚偽である。
第四争点に対する判断
一労働組合による企業の物的設備の利用関係は、もともと、使用者との自主的な団体交渉等によって決せられるべき問題であり、使用者が労働組合に対し、当然に企業設備の一部を組合事務所として貸与すべき義務を負うものではない。しかし、同一企業内に複数の労働組合が併存している場合には、その性格、傾向や運動路線等のいかんによって、そのうちの一つの労働組合をより好ましいものとしてその組織の強化を助けたり、他の一つの労働組合は好ましくないものとしてその弱体化を図るような行為をしたりすることは許されず、使用者が右のような意図に基づいて差別を行い、一つの労働組合に対して不利益な取扱いをすることは、支配介入に該るというべきである。このことは組合事務所の貸与についても同然であって、使用者が、一つの労働組合に対しては組合事務所を貸与する一方、他の労働組合に対してはその貸与を拒否することは、そのような異なった取扱いをすることについての合理的理由が存在しない限り、貸与を拒否する労働組合に対し、その活動力を低下させその弱体化を図ろうとする意図を推認させるものとして、労働組合法七条三号の不当労働行為に該当するものと解するのが相当である。
そして、右の合理的理由の有無の判断に際しては、当該貸与拒否に際して示された理由そのものだけではなく、貸与拒否に至る交渉の経緯、貸与拒否が当該組合に対して及ぼす影響、企業施設の状況、なかんずく組合事務所を提供する余裕の有無、程度、他の組合に対する貸与の経緯、それが返還に至っているときはその交渉の経緯や条件の有無、内容、その他当該組合に対する使用者の態度等、諸般の事情について総合的に検討する必要があり、その上で、貸与拒否がひいては当該組合に対する活動力低下、弱体化の意図を推認させるものといえるかという観点から右合理性の有無を考究しなければならないものというべきである。
二そこで、以上の見地から、被告補助参加人に対する組合事務所の貸与拒否が不当労働行為に該当するか否かについて検討を加える。
1 組合事務所の貸与拒否に至る交渉の経緯と拒否の理由について
(一) 争いのない事実に証拠(<書証番号略>、弁論の全趣旨)を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 前記のように、昭和五八年一〇月ころ以降、運輸一般労組組合と被告補助参加人とは、双方ともが全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部の正当な継承者であると主張して争い、被告補助参加人は、原告に対し、原告の責任で組合事務所を取り返してほしい旨の文書を提出し、これに対し、原告は、あくまで労・労間の問題であるから当事者の間で解決してほしいと回答した。その後、昭和六〇年ころから、被告補助参加人組合員の松木から原告に対し、従来の組合事務所とは別に組合事務所を貸与してほしいという要求がなされたこともあったが、原告は、一人組合には貸与できないなどの理由でこれを拒否していた。
(2) 昭和六三年四月一一日付けで、被告補助参加人は、原告に対し、「1 組合事務所を貸与されること。2 組合掲示板を設置されること。3 構内作業員を配置されること。いずれも切実な要求でありますので速やかに団体交渉を設定され、解決されます様求めます。」と記載した要求書(<書証番号略>)を提出した。同月一九日に団体交渉が開催され、原告側は岩見部長が対応し、被告補助参加人の組合事務所貸与要求に対しては、一人組合には貸与できない、また、金も場所もないとして貸与を拒否し、交渉は物別れに終わった。同年六月二七日にも、団体交渉が行われたが、結果は同様であった。続いて、被告補助参加人は、原告に対し、同年七月一六日までに文書で回答するよう求める同月一一日付け要求書(<書証番号略>)を提出し、その後、同月二一日に団体交渉が行われたりしたが、原告は、一人組合には貸与できない、場所もない、金もないと主張して組合事務所貸与を拒否し、その後も、同様の態度を続けた。
(3) この間、被告補助参加人は、原告の場所がないという組合事務所貸与拒否の理由に対しては、大津工場敷地内の更衣室の一部、卓球室、倉庫というように具体的に場所を指摘したが、原告は、更衣室は従業員が利用しているからとして、卓球室は他組合の要求によって造ったものだからとして、倉庫はプラントの部品が入っているからとして、いずれも拒否した。一人組合という点については、栗東工場では、組合員一人の連合産労に対し貸与を続けているではないかという被告補助参加人側の主張に対して、原告は、それは近々返還させる予定だと主張していた。原告が組合事務所貸与拒否の理由としたところは、昭和六三年八月までは、一人組合には貸与できないという点も含まれていたが、同月初めに柴原が加入してからは、場所も金もないという点が中心となった。
以上の事実が認められる。
なお、初審審問において、岩見証人(<書証番号略>)は、当時、貸与拒否の理由として、一人組合であること、場所がないこと、金がないことを述べていたが、場所や金があっても貸すという趣旨ではなかった旨供述している。
(二) 右のように、原告が被告補助参加人に対し組合事務所貸与拒否の理由として示したところは、一人組合には貸与できない、場所も金もないということであったが、前記のような初審審問における岩見証人の説明によれば、もともと場所や金があっても貸すという趣旨ではなかったというのであるから、これらの理由として述べられたことは、単なる方便で、貸与拒否の真実の理由ではなかったことを窺わせる。
なお、原告の主張に<書証番号略>を参酌すると、原告がそもそも組合に対し組合事務所の貸与を拒否する実質的な理由は、連帯労組の各組合事務所の使用方法が不当とか、そこを根拠地として不当な活動を行っているとか、組合事務所を拠点とする苛烈な争議行為が継続されているとかが企業等に甚大な損害を及ぼしているとの考え方によっていると思われる。しかしながら、一方、<書証番号略>においては、連合産労の組合事務所の使用方法は妥当であった旨の指摘がなされている。他方、原告が問題とする連帯労組の組合事務所の使用方法の当否の点は措き、少なくとも、被告補助参加人について、組合事務所の貸与を認めると企業としての原告に不当な損失が生ずることを窺わせる証拠は存在しない。
2 原告の被告補助参加人に対する組合掲示板の貸与経緯等について
(一) 争いのない事実に証拠(<書証番号略>、弁論の全趣旨)を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 原告は、他組合に対しては、それぞれ組合結成後すみやかに組合掲示板を貸与した。しかるに、原告は、被告補助参加人に対しては、組合掲示板に関しても、その貸与を命ずる本件初審命令が平成元年一二月に発令された後である平成二年二月まで、掲示文書の事前許可制等の条件に固執して容易に貸与しようとしなかった。
すなわち、原告は、昭和六三年に被告補助参加人から、本件組合事務所とともに組合掲示板の設置を要求された後、一旦、これを設置するかのような態度を示したものの、その後、同年一〇月一四日の被告補助参加人との団体交渉において、掲示文書の事前許可制を含む内容の協定書の締結を条件として提示し、これを受け入れない限り組合掲示板は貸与しないと主張した。原告が被告補助参加人に対し右のような協定書の締結を求めたのは、連帯労組が昭和六二年八月以降組合掲示板に原告を中傷誹謗するような内容の掲示物を掲示しているので、このようなことがないように規制する必要があると考えたことによるものであった。これに対し、被告補助参加人は、他の労働組合にも同様の貸与条件を求めているか否かの質問をして回答を保留し、その後同年一一月末ころ、原告の協定書案から許可制を除く代わりに「会社の信用失墜、個人の名誉毀損、職場の秩序紊乱を招く事項又は事実無根、その他これを歪曲した事項は掲示しない。」等の条項を盛り込んだ協定書案を提案したが、原告はこれに応じなかった。
こうした経緯を経て、被告補助参加人は、組合事務所と併せて組合掲示板の貸与を求めて平成元年三月三〇日、滋賀県地方労働委員会に対し救済の申立てをしたところ、同年四月一七日提出の原告の答弁書には、他の労働組合に対しても被告補助参加人に要求したのと同じ協定の締結を求めたと記載されている。しかし、実際に原告が他の組合に対し右と同じ内容の協定の締結を要求したのは、被告補助参加人が右救済申立書で原告が他の組合と締結していない協定案を示して組合掲示板貸与を拒否していると指摘をした後であり、前記答弁書提出の直前である同月一四日のことであった。しかも、右協定の要求に対して、一方、連合産労は内容に関する交渉も経ずにそのまま受け入れたが、他方、連帯労組はこれを拒否し、原告は、同労組に対しては右要求を記載した通知書を交付しただけで、それ以上は何らの対応もしていない。なお、原告は、本件初審命令後の平成二年二月二六日付けで、被告補助参加人との間で、掲示文書の事前届出制による組合掲示板に関する協定を締結して、その貸与をするようになった。
原告は、初審以来、組合掲示板に関する原告の右協定案は、連帯労組による原告中傷のビラの貼付等があったため、その必要性を痛感したものであると主張しているが、被告補助参加人がそのような問題のあるビラを作成、配付したり、宣伝行動をしたりした形跡はない。一方、原告は、右のような問題があるとする連帯労組との間で右協定書締結交渉はできるような状況にないと自認してきた。
(2) また、昭和六三年八月、被告補助参加人大津分会に柴原俊正が加入し、同月二二日付けで、被告補助参加人からその旨の通知がなされると、原告は、右通知書を他の労働組合に対する申し入れ等の書面を掲示するのに使用していた食堂内の掲示板に掲示した。右以前には、このような取扱いがなされたことはなく、これに先立つ経緯として、かつて、昭和五八年に松木と他の二〇人とが袂を分かった後、松木に対する様々ないやがらせ行為があり、これを松木が原告に訴え続けた経緯があったため、被告補助参加人は、右の掲出は連帯労組との間の確執を利用しようとする行為であると捉え、原告に対し、当該掲示板は同組合に貸与されたものと理解してよいかと質問する形で抗議した。これに対して、これらの書面を受領した当人である岩見部長は、新人の江口労務担当部長(他社の労務担当から移ってきた者である。)が原告の慣行を知らずに貼り出したものだなどという弁明をした。
(3) さらに、昭和六三年の年末一時金についても、被告補助参加人から原告に対し、前記組合掲示板に関する要求とともに一定の要求がなされていたが、原告は、同年一二月初めに有額回答をするとともに、年次有給休暇による休務は実労働日とみなさない旨の条件を含む「欠格控除」の項目を含んだ協定書案を提示した。これに対し、被告補助参加人は、当初「欠格控除」全部につき反対し、次に訂正を求める項目を減らして交渉に臨んだが、原告は、平成二年二月になっても、年次有給休暇を取得した日を前記一時金算定の基礎から除外するとの主張を譲らず、同年三月半ばを過ぎてようやく、所轄労働基準監督署の指導を受け入れ、前記欠格控除項目案から年次有給休暇を削除し、同月二二日になって、昭和六三年度年末一時金を支給した。なお、その後同年四月、被告補助参加人が、同組合員らに対する実際の支給平均額と連合産労組合員に対する支給平均額とが異なることを問題にし、休日出勤等に対する振替休日の取得をしなかったことに対する報奨の加算支給は不当であるとして、差額の支給を求めたのに対し、原告は、締結された協定書には差額支給に関することは記載されていないと主張して、協定上の記載を盾に被告補助参加人の要求を拒否するという経緯もあった。
(4) さらに、原告は、平成元年四月にも、昭和六三年度福利厚生資金を一人二万円あて(すなわち、合計四万円)支払う義務を認めながら、「資金繰りができ次第支払う。」との原告の通知書の文言を盾に取って「資金繰りができるまでお待ち下さい。」と回答して、そのままにするなどの対応をとった。
(5) 他にも、連帯労組に対しては月四回の組合休暇を、連合産労に対しては年一二回の組合休暇を、それぞれ容認しており、被告補助参加人大津分会に対してこれを認めていないのと異なる取扱いをしている。
以上の事実が認められる。
(二) 右認定のような原告の被告補助参加人に対する対応は、他の組合との取扱いに差別を設ける姿勢を推認させるものといわざるを得ない。
すなわち、原告は、組合掲示板に関し被告補助参加人を差別する意図はなかったと主張し、初審以来、組合掲示板に関する協定で事前許可制を定めようとしたのは、連帯労組による原告に対する中傷ビラの貼付等により、その必要性を痛感したためであると主張しているが、被告補助参加人がそのような問題のあるビラを作成、配付したり、宣伝行為をしたりした形跡はないのであり、また、その問題があったとする連帯労組との間では、争議が継続しているため、右協定の締結交渉ができる状況にないことを自認しているのであって、このような組合掲示板貸与拒否に合理的理由があるとは解し得ない。また、柴原俊正の加入通知書の掲示についても、これに先立つ経緯に照らせば、被告補助参加人と連帯労組との間の確執を利用しようとする行為と捉えた被告補助参加人の理解には一応の根拠がある一方、これに関する岩見部長の弁明はにわかには首肯し難いところがある。さらに、昭和六三年の年末一時金に関する前記の経緯は、遅くとも被告補助参加人が協定書案の訂正を求める項目を絞り込み、他方、原告が労働基準監督署の指導を受けた時点以降、相当な理由なくして支給を遅滞させたものということができ、その後の原告の対応も少なくとも不誠実の批難を免れないであろう。そして、原告が支払義務自体は自認していた合計わずか四万円の昭和六三年度福利厚生資金を「資金繰りができ次第支払う。」との文言を盾に取って「資金繰りができるまでお待ち下さい。」などと回答して、そのままにする対応をとったことも、被告補助参加人の弱体化を企図するものと評価されてもやむを得ないであろう。
3 原告の企業施設の状況について
(一) 証拠(<書証番号略>、弁論の全趣旨)によると、次の事実が認められる。
原告大津工場の敷地は、かなり広大であり、公簿面積によっても概ね六四〇〇平方メートルである。そして、同敷地内には、各種倉庫や卓球室等の建物が多数存在した。
このうち、本件審問当時被告補助参加人が提案した倉庫は、五年間の保管義務のある配合表等の書類が雑然と置かれていた。これらの書類は、保管義務の経過した時点で廃棄されるようなことはなく、そのまま保管されていたのであり、初審申立て当時は倉庫前面に廃棄物が積み重ねられている状況であった。
また、原告との交渉過程で、被告補助参加人は、組合事務所候補地として大津工場敷地内の何箇所かの場所を具体的に指摘したが、原告は、更衣室の一部を区切ってはどうかという提案に対しては更衣室は従業員が使用しているからとして、卓球室との提案に対しては他組合の要求によって造ったものだからとして、倉庫との提案に対してはプラントの部品が入っているからとして、いずれも拒否したことは前記認定のとおりである。しかし、その卓球室は、既に本件初審審問当時以来、ほとんど使用されていない状況にあったところ、その後、その用途は廃止されている。すなわち、右の更衣室、倉庫は、連合産労大津事務所のあった建物の解体に伴ってなくなり、他方、卓球室のあった建物が改造されて倉庫と女子更衣室になっている。
以上の事実が認められる。
(二) 右事実によると、既存の建物の範囲内でも、被告補助参加人に組合事務所を提供することは可能であったものと解され、さらに、原告会社敷地の広さに鑑みると、連合産労大津事務所のあった建物が解体されるなどしたことを仮に考慮しても、また、原告の営業内容の特殊性から業務用の車両の置き場が必須であることを考慮してもなお、被告補助参加人に対して組合事務所を提供する余裕がないとは考えられない。
4 他の組合に対する貸与と返還の経緯等について
(一) 争いのない事実に証拠(<書証番号略>、弁論の全趣旨)を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 連帯労組が原告に対し激しい闘争を展開するようになったのは、昭和六二年の春闘交渉が決裂した同年七月下旬ないし同年八月以降のことである。それ以前の同労組の栗東事務所貸与についての強い要求は、再審査審における岩見証人の説明(<書証番号略>)によれば、「ストライキあるいはそれに近い状態」というにすぎず、具体的には、組合旗の掲揚、時間外勤務拒否程度のものであった。
(2) 原告は、昭和六一年九月一一日付けの文書および同日の連合産労との団体交渉において、同月に栗東工場の組合員が一人になったので、大津工場内の組合事務所で足りるはずであるとして、栗東工場内の組合事務所の返還を求めた。これに対して、同産労は、同月二八日の団体交渉の席上、急に人数が減っても復帰者が出る可能性があるので暫く待ってほしいと要求し、原告は、これを受け入れることとした。
そのやり取りの経緯は次のようなものであった。
すなわち、原告は、組合員が一人になった以上返還してほしいと述べた後、組合事務所貸与の当初の動機につき、栗東工場における連合産労の組織を守るためにはどうしても組合事務所が必要であるとの強い要請があったことと日ごろから同産労の組合員らの原告に対する姿勢に評価できるところがあったため組合事務所を貸与したのであると説明し、さらに返還を求めた。これに対し、同産労は、組合事務所の存否は組織の根幹にかかわる問題であるから、その点を理解してほしいと主張し、原告はこれに理解を示した。そして、原告は、同産労側の全組合員が全力を挙げて原告に協力することを約束するので信頼してほしいという申し出を受け、これを信頼すると応じて、同産労の申し出を受け入れた。
(3) その後二年半の間、原告と連合産労との間で栗東工場内の組合事務所に関して交渉をしたことはなく、原告は、本件初審における組合側調査日の平成元年四月二五日の翌日である同月二六日に行われた春闘に関する同産労との団体交渉の席上、栗東工場の同組合員が一人になったままの状況では必要性がないものとして返還を求めると主張し、これに対し、同産労は、検討する時間を与えてほしいと回答した。そして、同年五月一一日、一二日の同産労支部長と原告の広瀬次長との交渉を経て、同支部長から組合事務所を返還するについては要望事項があるので文書で提出する旨の申し出があり、原告は、返還が前提ならばできるだけ応ずる用意があると答えた。右要望なるものの内容がいかなるものであったかについては明らかでない。
そして、同月一三日、同産労支部は、原告に対し、栗東工場内の組合事務所を返還した。
しかし、右返還については、返還直後の同月一六日付けで同産労の上部団体が「組合事務所の明け渡しを強要!」と記載したビラを発行した。右のビラには、「四月二六日交渉(第二回)以降連日にわたり支部長に対し、組合事務所の明け渡しを迫るなど、団交席上組合側の態度を無視した対応をしております。」と書かれており、「原告会社に対する同支部の取組みの問題点と支部体制の強化について指導することを決定した。」旨記載ざれている。そして、同年六月には、同支部長が更迭された。
(4) 原告は、連帯労組に対する関係では、同労組との間の激しい紛争があって、同労組の拒否が当然予想されるため、組合事務所の返還を求めたことはない。
以上の事実が認められる。
初審審問において岩見証人(<書証番号略>)は、連合産労が右(3)のビラで原告を非難したのは、同産労の全事務所の返還を求められていると同産労が曲解したためであり、そこに記載されている組合事務所とは、大津、洛北の両事務所をも含む同産労の全事務所のことである旨供述するが、このことは当該ビラ記載自体に符合しない。
そして、組合事務所に関する同産労の従来からの言い分、同産労栗東事務所の同年四月二六日の明渡し要求から時日を経ずして右要求が実現した経緯、返還に際しての何らかの要望とこれに対する原告の理解ある態度等は、相互間の何らかの取引を窺わせないではない。原告及び洛北レミコンと同産労及び同支部との平成三年四月一二日付け「組合事務所明渡しに対する協定書」(<書証番号略>)には、「組合事務所の明渡しの権限は、組合に有することを証し確認する」とか、「組合事務所明渡し後における組合活動の不都合については、……誠意をもって窓口折衝する」とか、「職場秩序等の職場環境の改善の後に施設利用等の必要性が生じたと会社が判断したときは勘案する」などの条項があって、右協定上も、事務所明渡しが同産労の義務としてではなく、権限として約定されるという通常と異なる特別の規定になっているばかりでなく、同産労に生ずる不都合を前提としてこれについての交渉を約している。さらに、右にいう「職場秩序等の職場環境の改善」というのは、前掲各証拠に照らすと、原告が問題とする連帯労組との激しい労使紛争の解決を指しているものと解されるから、それが解決した後には組合事務所貸与を再検討することが予め約されているものといえる。
(二) 原告は、連帯労組栗東分会に対する組合事務所貸与は、同労組の争議行為の圧力に屈したものである旨主張するが、右認定(1)のとおり、激しい争議となったのは同労組に対する栗東事務所貸与の半年も後のことであって、原告の主張(1(二))自体は、右貸与をしなければ激しい争議行為がなされたであろうという単なる事後的推測によるものにすぎない。
連合産労の組合員が一人となって原告が栗東事務所の返還を求めた時点で、同産労が組合事務所は組合の根幹にかかわる問題だと主張したのに対して原告が理解を示し、爾後二年半にわたって貸与継続を容認してきた経緯と同産労との前記のような内容の協定の締結は、被告補助参加人に対する貸与をあくまで拒否する姿勢と対比するとき、被告補助参加人を同産労と差別する姿勢を示しているものと推断するほかはない。
原告は、救済命令取消訴訟の違法判断の基準時を口頭弁論終結時とすべきであると主張するが、これは救済命令発令時と解すべきであり、同産労の大津事務所の返還の履行時期は、弁論の全趣旨によれば、本件命令発令後であると認められる。そして、同産労が原告との間で組合事務所返還に関する前記協定を締結したのは本件命令発令の前ではあるが、以上認定の経緯に照らすと、原告が同産労から栗東事務所の返還を受けたのは、本件係争に対する対策的措置であった面を否定することはできないのであって、同産労との差別状態が組合事務所に関して解消されてしまっているということはできない。
なお、原告は、新たに組合事務所を貸与することと既に貸与してある事務所を返還させることとでは次元が異なり単純に比較することはできない旨主張するところ、一般論としては原告の主張にももっともな面があるものの、連合産労に対するのと被告補助参加人に対するのとでは原告の態度に明らかな差異があったことは前示したとおりである。
5 本件貸与拒否が被告補助参加人大津分会に対して及ぼす影響等について
(一) 争いのない事実に証拠(<書証番号略>、弁論の全趣旨)を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 他の労働組合は、対原告の態度決定その他の場面で、各組合事務所を会議や打合せに使用していたばかりでなく、その組合員らは、日常休憩時間等に、自己の所属する組合の事務所を待機場所とすることが多い実状にあった。
(2) 被告補助参加人大津分会の分会員は本件命令当時二人であったものの、被告補助参加人全体としては本件初審審問終結当時で約一一〇〇人おり、原告との交渉等には、分会だけでなく、被告補助参加人として対応しており、上部組織の役員等との協議、検討をしたり打合せをしたりする必要があったが、その場所として、互に牽制し合う関係にある他組合の組合員の出入りする場所を避けると、駐車場や自家用車内などで打合せをしたりする必要も生じた。また、原告に対する要求は、春闘、一時金といった賃金要求のみに限られていたわけではなく、各種の労働条件改善要求にわたることもあった。
(3) 原告は、被告補助参加人には原告の業務用電話を貸すことはなく、被告補助参加人としては、社内で電話をかけようとすれば他の組合員等もいる食堂の電話機を使用するほかはなく、他人に聞かれるのを避ける必要のある場合には、社外の公衆電話を利用する以外に方法がない状況にあった。
また、被告補助参加人大津分会に対する外部からの電話連絡は、原告の業務用の電話(同運輸部の代表電話)になされており、原告が適宜これを取り次ぐことが原則となっていたものの、その場でのやり取りには制約があり、また、確実に取り次がれるかどうかについては保障がなかった。
原告は、他組合に対しては、電話機を設置し、しかも、その料金まで負担していたが、こうした電話に関する便宜供与そのものの点はともかくとしても、組合事務所があれば、自ら電話機を設置することも可能であるといえる。
(4) 被告補助参加人大津分会は、本件命令当時既に結成後長年月を経過しており、その間の資料はかなり膨大な量にのぼるばかりでなく、本件命令発令直近の原告と同分会との間の応酬に際しては、かなりの数の、かつ、ときにはかなり長文の文書が、相互に頻繁にやり取りされていた。同分会は、組合事務所がないため、これらの文書や資料を分会員の自宅や自家用車内に置くほかはない状況であった。また、原告側からの文書に対して速やかに文書による回答、反論等を行おうとしても、自宅に戻ってから、文書作成に取り掛かるといった状況を余儀なくされていた。
(5) 原告会社の各組合の組合員数は、昭和五八年に松木を除く二〇人が運輸一般労組灰孝小野田レミコン大津分会を結成したときを初めとして、その後も、連合産労の栗東工場の組合員数が激減するなど、相当大きな変動を繰り返してきている。
(6) 松木は、前記のようにして組合掲示板の貸与がなされた後、原告の他の従業員から、「労働組合というだけで何もしてないのではないかと思っていたが、結構やっているんだなあ。」などと言われたことがある。
以上の事実が認められる。
岩見証人(<書証番号略>)は、初審審問において、団体交渉に際しての打合せ等につき被告補助参加人から待機室や更衣室を貸してほしいという申し入れがあったときは了解していたと供述する。しかしながら、同証人の供述(<書証番号略>)によっても、待機室というのは食堂を兼ねた部屋のことであり、その隣にある畳の部屋には連帯労組の組合員らが休憩時間中常時いて、右部屋にも出入りしている状況にあり、また、更衣室というのは、組合に加入していない従業員らが休憩時間に休憩している場所だというのであり、いずれも他の組合の組合員や非組合員らが自由に出入りできる状況にあって、これらを被告補助参加人に貸与することの了解をしていたといっても、利益性において組合事務所と比較にならないことは明らかである。
(二) 右認定の事実に基づいて被告補助参加人にとっての組合事務所の必要性について考察する。
原告は、本件初審審問の最終準備書面(<書証番号略>)において、組合事務所の貸与に関しては必要性が認められた場合には適宜貸与してきたと主張するものの、その必要性の有無は形式的な人数によって判断し、組合内部の個別的事情については関知しないという。しかし、ここにおいて検討すべき組合事務所の必要性いかんは単に形式的な人数だけを要素として判断すべきものではなく、当該組合の置かれている具体的状況のいかんを総合的に検討する必要があるものというべきである。
このような見地からいうと、本件においては、被告補助参加人大津分会は、他の労働組合と異なり、対原告の態度決定その他の場面で場合によって上部組織の役員等を含めた会議や打合せに使用する独立した場所の提供を受けず、また、上部組織を含む外部と電話連絡等にも不便を来し、かなり多量な文書や資料の保管、整理の場所にも不足し、必要に応じて原告と文書による応酬をしようとしても、松木らが自宅に戻ってから文書作成に取り掛かるといった状況を余儀なくされていたのであるから、組合事務所の貸与をひとり被告補助参加人のみが拒否されていたことによる不便、不都合は他の組合と比較して軽視し得ないものというべきである。
原告は、本件命令当時の分会員数が二人である点を強調して、被告補助参加人大津分会には組合事務所の必要性がないと主張するが、およそ一般的にいっても、労働組合の組合員数は流動的であるといえるばかりでなく、とりわけ原告の各組合の組合員数はかなり大きな変動を繰り返してきているのであって、原告における各組合の組合員数は流動的な傾向がみられる。こうした組合員数の変動には、組合事務所を基盤とする教宣活動の効果等が推認されるのみならず、他の組合員らが、日常、自己の所属する組合事務所で休憩したりしている実態や原告従業員の松木に対する前記のような発言等に照らすと、組合事務所を有することとこれを有しないこととの格差には組合員数の多少に及ぼす影響も無視し得ないものがあると解される。さらに、原告は、春闘、一時金などの団体交渉時には臨時に被告補助参加人に待機室、更衣室を貸与しており、平時の会議や打ち合せは二人の組合員しかいないから自宅や喫茶店でもできるとか、文書を保管する場所であればロッカー貸与の方法もあるなどと主張するが、会議などの必要性は春闘や一時金交渉時に限られるわけではなく、各種の労働条件改善要求や教宣活動等の面にも同様に認められるし、原告がその主張のような文書保管のための場所の提供を組合事務所貸与の要望に対する対案として申し出た形跡は全くない。
してみれば、被告補助参加人分会の組合員数が二人であったことによって組合事務所の必要性がないということはできない。
6 以上検討したところによると、原告は、他の組合に対しては、結成後間もなく組合掲示板、組合事務所を貸与する一方、被告補助参加人に対しては、いずれをも拒否し続け、とくに組合事務所については貸与拒否の理由として組合員数が少ないこと、場所や金がないことを挙げながら、実は後二者は貸与を拒否するための方便にすぎなかったとの批判を否定することができないのであり、この間の交渉等における原告の態度も不誠実の謗りを免れないもので、被告補助参加人に対する差別の意思を推認されるものであり、そのため、被告補助参加人としては軽視し得ない不都合を来していたものということができる。
原告としては、本件組合事務所貸与の要求が頻繁に主張されるようになった当時は、現在も継続している連帯労組との労使紛争が激化し、これに対する対策に追われており、同労組との関係で被告補助参加人を差別する意思はなかったというごとくである。なるほど、同労組に対する原告の現在の姿勢からみて、原告が同労組を好ましいものとしてとくに被告補助参加人以上に優遇しようとした意図はないのかもしれない。しかしながら、同労組との関係でも、組合事務所の貸与の有無という客観的差異があったことは厳然たる事実であり、さらに、原告は、前示のような多数の点で、連合産労と比べて被告補助参加人に対する取扱いに差異を設けており、同産労との関係でいえば、原告が同産労を優遇し、これに対して被告補助参加人を差別する取扱いをしてきたことは明白である。
原告は、同産労から全組合事務所の返還を受けたことを前提として、社内の最少数組合である被告補助参加人大津分会に対してのみ新たに組合事務所を貸与すれば同産労に対して不合理かつ不公平な取扱いをしていることになり、本件命令が維持されると、命令及び判決による不当労働行為の強制という問題が生ずる旨主張するが、本件命令発令の段階ではいまだ右返還は実現していなかったのであるから、原告の右主張は前提において失当であるのみならず、同産労による組合事務所の返還が本件係争に対する対策的措置であった面を否定することができないことからすると、原告の右主張はいずれにせよ理由がない。
また、原告は、使用者による便宜供与は法律上例外的に許容されているにすぎず、本件で組合事務所貸与拒否を不当労働行為とするならば、既存の労働組合から一人、二人の組合員が脱退して別組合を結成したときには使用者は直ちに組合事務所を貸与しなければならないという結論になってしまい不当である旨主張するが、組合事務所貸与拒否が不当労働行為となるかどうかは、個々の具体的事例において当該貸与拒否につき合理的理由があるかどうかによって決せられることであるから、一律に原告のいうような結果となるおそれが生ずるとはいえない。
三以上検討した諸般の事情を総合すると、被告補助参加人の組合員数が本件命令当時二人であったことを考慮しても、本件組合事務所貸与拒否に合理的理由があるということは困難であり、それは、被告補助参加人の活動力を低下させ、その弱体化を図ろうとする意図に基づくものと推認せざるを得ない。
よって、本件命令は適法である。
(裁判長裁判官林豊 裁判官松本光一郎 裁判官岡田健)
別紙(一) 命令書
主文
1 被申立人は、申立人に対し、大津工場内に組合事務所を貸与しなければならない。なお、組合事務所の設置場所、面積等の具体的条件については、当事者間において協議して決定するものとする。
2 被申立人は、申立人に対し、組合掲示板をすみやかに貸与しなければならない。なお、利用上の条件については、他組合との状況を勘案して当事者間において、別途合理的な取決めをしなければならない。
3 申立人のその余の申立てを棄却する。
理由
第1 認定した事実
1 当事者等
(1) 被申立人灰孝小野田レミコン株式会社(以下「会社」という。)は肩書地に本社を置き、滋賀県下に大津工場および栗東工場の二工場を有し、建材の製造販売等を目的とする資本金四、〇〇〇万円の株式会社で、本件審問終結時の従業員数は七一人(本社三人、大津工場四六人、栗東工場二二人)である。
(2) 申立人全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部(以下「組合」という。)はセメント・生コン産業および運輸一般産業で働く労働者で組織された全日本運輸一般労働組合の組合員のうち、関西地区で働く労働者で構成されており、本件審問終結時の組合員数は約一、一〇〇人である。
組合は、大津工場内において下部組織として灰孝小野田レミコン大津分会(以下「分会」という。)を結成し、その分会の組合員は、大津工場に配置されている会社従業員松木和雄(以下「松木」という。)および柴原俊正(以下「柴原」という。)の二人である。
(3) 会社には本件審問終結時、分会以外に、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(以下「連帯労組」という。)および連合交通労連関西地方総支部生コン産業労働組合灰孝小野田レミコン支部(大津工場の組合員数は九人、栗東工場の組合員数は一人、以下「連合産労」という。)の労働組合が存在し、連帯労組は、大津工場に灰孝小野田レミコン大津分会(一四人、以下「連帯大津分会」という。)を、栗東工場に灰孝小野田レミコン栗東分会(四人、以下「連帯栗東分会」という。)を結成している。
2 会社に存在する各労働組合への便宜供与の経過等について
(1) 昭和五五年六月三日、大津工場で分会が従業員二五人により結成され、組合は会社に対し組合事務所および掲示板の貸与を要求した。会社は、同年六月に組合に組合掲示板を貸与し、また組合事務所については、同年六月一二日の団体交渉において貸与する協定を締結し、大津工場西側入口付近に新しく組合事務所を建築して同年八月一日に貸与した。
(2) 同じく昭和五五年六月、滋賀同盟灰孝小野田レミコン労働組合(以下「同盟労組」という。)が会社内に結成された。上記(1)のとおり会社は組合に組合事務所、掲示板を貸与していたため、同盟労組も結成後間もなく会社に対し組合事務所、掲示板の貸与を要求した。団体交渉の結果、会社は同盟労組に組合掲示板については大津、栗東工場で貸与し、組合事務所については大津工場内の倉庫を一部改装して貸与した。
(3) その後、昭和五六年六月、同盟労組は会社の運転手および誘導員で同盟交通労連関西地方総支部生コン産業労働組合灰孝小野田レミコン支部(以下「同盟産労」という。)を結成したが、会社は組合事務所、掲示板をそのまま引き続き同盟産労に貸与した。
(4) また、昭和五七年三月、同盟産労が、栗東工場の組合員は一五人であり組合役員が栗東工場で選任されているから大津工場の組合事務所だけでは不便であるとして、栗東工場に組合事務所を要求したところ、会社は団体交渉の結果、同年八月に栗東工場内に組合事務所を貸与した。
(5) 昭和五八年一〇月、松木一人を除き二〇人が運輸一般関西地区生コン支部労働組合灰孝小野田レミコン大津分会(以下「運輸一般労組大津分会」という。)を結成した。当時、運輸一般関西地区生コン支部労働組合(以下「運輸一般労組」という。)と組合は、双方とも自分たちが従前の全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部の正当な継承者であると主張して争っていたが、大津工場の組合事務所、掲示板については結果的に運輸一般労組が使用するようになった。
(6) その後、昭和五九年一一月二〇日、運輸一般労組は全日本建設運輸連帯労働組合に名称変更したため、運輸一般労組大津分会は連帯大津分会に改称した。
(7) 昭和六一年九月、栗東工場で連帯栗東分会が四人により結成され、連帯労組が会社に対し組合事務所、掲示板の貸与を要求した。会社は同年九月に組合掲示板を貸与したが、組合事務所については大津工場の組合事務所を連帯大津分会と併用するように主張して拒否したところ、連帯労組は争議行為を展開するなどして会社に強く迫ったため、昭和六二年一月の団体交渉の結果、会社は協定を締結し、同年二月、連帯労組に栗東工場内の組合事務所を貸与した。
(8) 昭和六〇年頃から栗東工場に勤務する同盟産労の組合員が同盟産労を脱退するようになり、昭和六一年九月には一人となった。このため会社は同盟産労に対し同年九月一一日組合事務所の返却を申し入れ、同年九月二八日に団体交渉をしたが、返却させるには至らなかった。
(9) 昭和六二年八月、会社と連帯労組との間で春闘問題で紛糾したので、連帯労組は、特に同年一〇月以降、大津工場を中心として争議行為を展開した。これに対し会社は昭和六二年一〇月から昭和六三年三月頃にかけて裁判所に業務妨害禁止仮処分申請等の一連の訴訟を提起する一方で、両者の間でたびたび団体交渉が開かれたが、昭和六三年一一月になると連帯労組が交渉を打ち切り会社に対し闘争の宣言をした。このため再び連帯労組はストライキ等を頻繁に展開するようになった。しかしながら、平成元年に入り裁判所から和解の話があり、同年三月以降労使が和解のテーブルにつくようになると、争議行為は保留されることとなり、平静を保つ状態となった。
(10) 昭和六二年一一月一五日、同盟交通労連関西地方総支部生コン産業労働組合が連合交通労連関西地方総支部生コン産業労働組合に名称を変更したため、同盟産労は連合産労に名称変更した。
(11) なお現在、会社は大津工場における連帯労組、連合産労の組合事務所に郵便ポストおよび電話を設置し、電話の基本料金、通話料を負担している。
3 組合の組合事務所、掲示板要求をめぐる団体交渉の経過等について
(1) 昭和五八年一〇月頃、分会から脱退者が出た当時、運輸一般労組の組合員と分会の松木とは、双方とも自分たちが組合の正当な継承者であると主張し争っていたが、その後、両者間の対立が落ち着きをみせはじめ、団体交渉が別個に開催できるようになると、組合事務所を事実上締め出された形となった組合は、昭和五九年二月二七日、会社に対し、会社の責任において組合事務所、掲示板等を取り返して欲しい旨の文書を提出した。これに対し会社は、あくまで労・労間の問題であるから当事者の間で解決して欲しいと回答した。
しかし、その後組合は会社に対し同趣旨の要求を続けた。
(2) これまで組合は、会社に対し、連帯労組が使用している組合事務所、掲示板を取り返して欲しい旨要求していたが、組合はこの方針を変更して、新たに組合事務所、掲示板の貸与を求め、昭和六三年四月一一日、会社にその旨の要求書を提出した。同年四月一九日に団体交渉が開催され、会社は運輸部長岩見三吾(以下「岩見部長」という。)が対応した。この団体交渉では春闘統一要求と上記組合事務所、掲示板について話し合われたが、会社は組合事務所、掲示板は一人組合には貸与できない、また、金、場所もないと回答したため物別れに終わった。同年六月二七日にも団体交渉が行われ組合は同様の要求をしたが、会社がこれを拒否した。
(3) その後、組合は組合事務所、掲示板の貸与について、再度会社に対し申し入れを行った。その結果、昭和六三年七月二一日の団体交渉においても会社は組合事務所、掲示板は貸与できない旨の回答をした。同年七月三〇日、組合は再び組合事務所、掲示板について貸与するように会社に回答を求める通告書を提出したが、これについては回答はなかった。
(4) 昭和六三年八月一日、会社従業員であり非組合員であった柴原が組合に加入した。組合は、同年八月二二日、団体交渉要求書等とともにこの旨を通知するため会社に加入通知書を提出したところ、江口昭労務部長(以下「江口部長」という。)はこの加入通知書のみを会社の掲示板に貼り出した。従来、組合員の加入、脱退につき会社に文書通知しても、それが掲示板に掲示されるということがなかったため、同年八月二三日、組合が加入通知書のみが貼り出されたことに対して会社に質問状等を提出し、翌二四日団体交渉が行われたところ、この席上、岩見部長は、会社の労使慣行に疎い江口部長が貼り出したものだと回答した。また、組合事務所については認められないが、組合掲示板については検討し、次回に何らかの形で回答する旨を約束した。
(5) 昭和六三年九月二六日、団体交渉が開かれ、会社は組合掲示板については貸与する方向で検討中であると回答した。また、組合事務所については貸与できない旨回答したが、これに対し組合は拒否の理由を明確にして欲しいと要求した。会社は拒否する理由のひとつには場所がないと主張したところ、組合は更衣室や卓球室、連帯労組事務所付近の倉庫の場所を提案したが、会社はそれぞれ使用目的が決まっているから貸与できない旨回答した。
(6) 昭和六三年一〇月六日、松木は岩見部長に他組合掲示板の取り付けてある大津工場の食堂の付近で組合掲示板を早く作って欲しい旨話したところ、岩見部長は連帯労組に貸与している組合掲示板の下あたりを示して意向を尋ねた。松木はその場所に組合掲示板を設置すると連帯労組の組合員の足があたり、すぐに傷むから少し具合が悪い旨を話し、連帯労組に貸与している場所の右側を具体的に希望したところ、岩見部長は「伊吹課長に任すさかいに、松木さん、伊吹課長と相談してやって」と答えた。その後、松木は運輸部の伊吹課長にそのことを話すと、伊吹課長は「そやなあ。早うしなあかんなあ。ほんならアサヒへいって材料を買うてくるわ」と話した。翌一〇月七日、松木は伊吹課長に対し「材料を買うてきてくれたか。わしらも手伝うで」と言ったところ、伊吹課長は、「あれちょっと会社からストップがかかってきたんや」と返事した。松木が理由を尋ねると、伊吹課長は「いや、ちょっとわからんけども、あれちょっとストップがかかったさかいに、ちょっとまだ材料も買うてないのや」と話した。
(7) 昭和六三年一〇月一四日の団体交渉で、会社は、組合に組合の要求する場所に組合掲示板の貸与を認めるとともに、組合掲示板を貸与する条件として協定を締結するように求めて、組合掲示板に関する協定書案(以下「会社協定書案」という。)を提出した。会社協定書案の内容は、大津工場運輸事務所と食堂との間の会社の指定した場所に組合掲示板の貸与を認めるかわりに、掲示を行おうとする場合は事前に会社の許可を受け、会社の許可印を受けてから掲示することを内容とするものであった。これに対し組合は、会社に他組合との間でも組合事務所、掲示板についての協定書があるのであれば見せて欲しいと要求したが、会社は、現在、他組合については協定書はなく、これから締結していく旨を答えた。
(8) 昭和六三年一〇月二六日、会社協定書案について団体交渉の予定であったが、会社の都合により同年一一月二日に延期された。同年一一月二日の団体交渉の中で、会社は、組合に、他組合についても会社協定書案による協定の締結(以下「協定の締結」という。)を求めていくと説明して協定の締結を促したが、組合は合意せず対立のままであった。
(9) 組合は昭和六三年一一月一〇日に団体交渉を開くように会社に申し入れたところ、会社はこれを翌日に延期して団体交渉を行った。この中で組合から組合掲示板に関する協定書案が提出されたが、会社は会社協定書案に固執したため、対立のままで終わった。また、組合事務所の貸与についても会社は拒否したため物別れに終わった。
(10) その後、組合は昭和六三年一一月一七日に団体交渉を予定していたが、会社から当日になって中止にして欲しい旨申入れがあり、同年一一月二八日に団体交渉が延期になった。しかし、同日になると会社は再び中止の申入れをした。このとき岩見部長は同年一二月五日には開催することを話した。同年一二月五日になって組合側は二人の交渉員が待機していたが、当日になって団体交渉は同年一二月九日に延期になった。このため組合は、同年一二月七日、会社のたび重なる団体交渉の突然中止について抗議文を出した。
(11) 昭和六三年一二月一日付および同年一二月七日付文書で、会社は組合に対し、年末一時金について「昭和六三年度・年末一時金に関する協定書」を締結することを条件として有額回答をした。これに関して会社は、連合産労、非組合員との間においては同年一二月に妥結し、支給日である同年一二月一五日に一時金を支給した。
(12) 昭和六三年一二月九日の団体交渉において、会社は会社協定書案に署名押印を求めたが、組合はこれを拒否した。組合は組合事務所の貸与を求めたが、会社はこれについては拒否した。また年末一時金についてはこの席上、岩見部長は「話は聞くが一言一句訂正はしない、これ(協定書)に署名、捺印をした者のみ支給する」と話した。組合は支給日も迫っていることもあり合意に必要な資料の提出を会社に求めたが、放置されたまま支給日が過ぎた。
(13) 組合は、年末一時金支払の場合、年次有給休暇を欠格控除項目に繰り込むというのは違法行為であるとして、抗議文を提出し団体交渉等を求めるなどの行動を続けた。そして、最終的には大津労働基準監督署の指導を受け入れるという形で、会社は平成元年三月三〇日付協定書において欠格控除項目から年次有給休暇の削徐を認め、一時金の支払いに応じた。
(14) 平成元年三月三〇日、組合は本件について当委員会に不当労働行為救済の申立てを行った。
4 本件申立て以降の経過について
(1) 平成元年四月一四日、会社は連帯労組および連合産労に対し、組合に提示したものと同じ内容の会社協定書案を提示した。
(2) 平成元年四月二四日、松木は、本事件について当委員会の調査に出席するため、会社に組合の申入書を提出した。これに対応した岩見部長は、会社所定の用紙で早退届を出すように指示した。松木は以前にも同様の申入書で当委員会に出席したことがあり、会社もこれを認めてきた経緯があったので、これで問題ないとして帰宅した。翌四月二五日、松木は当委員会に出席のため作業終了を中間管理職に申し入れると、同管理職から「部長からは何も聞いていないが、所定の用紙が提出されていないから提出するよう」との返事があったが、岩見部長が留守のため昨日の申入れの件を説明して早退届を提出せずに作業を終了し、当委員会の調査に出席した。
(3) 平成元年四月二六日、会社は松木に対し就業規則違反だとして警告書を発した。これに対し松木は反論し、同時に団体交渉を求め話合いで解決を望んだが、会社は団体交渉に応じなかった。結局、松木は四月二五日の賃金をカットされた。
(4) 平成元年四月二六日、会社は連合産労と団体交渉を行い、この席上、会社は連合産労に対し栗東工場の組合員が一人になったので組合事務所の返還を求め、また会社協定書案の調印等を求めた。これに対し連合産労は、組合事務所については検討する時間を与えて欲しいと答え、また会社協定書案については本部に持ち帰り検討すると回答した。同年五月一一日および一二日に連合産労の支部長と会社の広瀬次長との間で栗東工場で労使交渉が行われ、その結果、連合産労は同年五月一三日に栗東工場の組合事務所を返還した。しかしその後、連合産労の上部団体が「組合事務所の明け渡しを強要!」と書いた同年五月一六日付のビラを発行し、また、同年六月には連合産労の支部長が交替した。
(5) 平成元年七月二〇日、連合産労は、会社協定書案に関してその内容について団体交渉を行うことなく、そのまま受け入れて調印した。会社と連帯労組との間では労使紛争が継続中であったため、会社協定書案が提示されたが、現在までに何ら交渉は行われていない。
第2 判断および法律上の根拠
1 申立人の主張
会社が他組合には組合事務所、掲示板を貸与して、組合に対してのみ貸与しないのは明らかに不当労働行為である。
(1) 会社が組合事務所を組合に貸与しない理由として主張しているのは、分会の組合員が二人であり、その必要性がないということである。しかし、労働組合の組織人員は会社の各労働組合の経過をみるだけでも流動的である。すなわち、分会においても現に柴原が昭和六三年八月二二日に組合に加入しているのであり、今後いかに変動するかわからないのである。また、会社は労働組合の組合員数が流動的であることを前提に柔軟な対応をしてきている。すなわち、連合産労については、栗東工場の組合員が一人となっても会社は組合事務所を二年半余りにわたって貸与しつづけていたのであり、その間、具体的に返還の交渉すら行われなかったのである。ところで、本件が生じてから平成元年四月二六日以降、会社が連合産労に組合事務所の明渡しを強硬に迫って返却させている。これは本件において組合から一人でも貸与していることを主張されることを見越しての組合事務所の返還であるといわざるをえない。また、会社は昭和六二年二月、四人で構成されている連帯栗東分会に対し組合事務所を貸与しているが、四人には貸与できるが二人には貸与できないということについて具体的に説明がされたことはない。
また、組合事務所は通常労働組合運動にとってはなくてはならないものである。すなわち、組合事務所があればそこで会議、集会等を開くことができるのであり、現に他の労組は上部団体の役員を交えて会議等に利用しているのである。また、団体交渉の打合せにも必要である。加えて文書、資料の保管場所としても重要であり、労使間の紛争の時にもただちに反論できるのである。したがって、現在、組合に組合事務所がないため上記の活動が行えず、不利益、不便をこうむっているのである。
会社は江口部長を招いた時にも新たに事務所を設けており、会社はその意思さえあれば何時でも組合事務所を提供できるものであり、提供しなければならないのである。
(2) 会社は組合掲示板については貸与を認めているが、貸与する前提として自ら作成した会社協定書案をそのまま調印しないかぎり組合掲示板の設置は認めないが、この点について合理的な理由があるかどうかである。会社は、協定書を必要とする理由につき、連帯労組の利用上の問題点を指摘するが、このことは組合に対し会社協定書案を押し付ける理由とはならないのである。そもそも問題があると自ら主張する連帯労組に対しては、初めから協定の締結をあきらめたうえでそのまま組合掲示板の自由な利用を認めつつ、組合に対して協定の締結を迫るというのは誰がみても矛盾である。
会社がこの会社協定書案を組合のみに提示したのは昭和六三年一〇月一四日であり、この段階では他の二労組には何の申入れもしておらず、その申入れをしたのは組合に指摘されたあとの平成元年四月一四日である。これは本件の対応を合理化するためのものにほかならない。会社と連合産労との間においては八年間にわたり協定書はなく、これを必要とする事態も一度も生じたことはなかったのであるが、平成元年七月二〇日にその必要性のない協定書を連合産労と結んだのは、ひとえに本件を見越してのことである。連帯労組については、会社は、平成元年四月一四日に申入れをしただけであり、その理由すら記載せずに一度も説明することもしていない。初めから了解を得られないことを見越しての対応である。したがって、会社協定書案を口実に組合に対してのみ組合掲示板を拒否するのは理由がない。
会社協定書案は掲示できる内容を極端に限定し、しかも事前に許可を得ることを要するという検閲を含むものである。これは常識的にみても労働組合として了解できないものである。また組合は会社に対し会社協定書案を単に拒絶するというのではなく、対案を提示し柔軟に対応してきたが、会社はかたくなに協定の締結を迫り、事実上、組合掲示板の貸与を拒否している。
このように会社は自ら作成した会社協定書案に組合がそのまま調印しないかぎり組合掲示板の設置は認めないが、それはおよそ理由のないものである。
2 被申立人の主張
会社は組合事務所、掲示板について組合を差別的に扱おうとする意図は全くない。したがって、本件申立てはいずれも理由がなく棄却されるべきである。
(1) 組合に組合事務所を貸与すべき理由があるかどうかを判断するにあたって会社が最重視してきたのは組合員の人数である。本件の場合、分会の人数は現在二人にすぎず、組合事務所の貸与は不要であるというのが会社の考えである。会社は、過去の経緯から明らかに分かるように、組合事務所の貸与については、必要が認められた場合には適宜貸与してきた。しかし、分会の組合員数は二人にすぎず組合事務所の必要性という点で会社における他組合と前提条件が大きく異なる。組合員の人数が組合事務所を必要とする人数となっている他組合に組合事務所を貸与しても、分会の組合人数が組合事務所貸与を必要とする人数に満たない以上、組合事務所を貸与しなくても平等違反、中立義務違反の問題を生じないはずである。四人の組合員にすぎない連帯栗東分会に組合事務所を貸与することになったのは争議行為に屈服したためであり会社として本来の判断ではない。
組合は組合事務所の必要性を主張するが、そのような内部的な事情については会社は知りうる立場にないことは勿論、これらの事情について調査すべき立場にもない。
また、会社には組合事務所を貸与する適当なスペースもない。
したがって、会社が組合に対して組合事務所を貸与していないことをもって殊更に差別的に扱ったということはできない。
(2) 会社は組合に対して組合掲示板を貸与することは既に回答している。しかし組合掲示板の貸与にあたっては協定の締結を条件とした。確かに従来、会社は組合掲示板の貸与については労働組合の節度ある利用を期待してとくにかかる協定の締結を求めていなかったのであるが、昭和六二年八月以来の連帯労組との激しい労使紛争において組合掲示板に大量の事実無根の会社中傷ビラが貼られたりした経験から会社としては組合掲示板について協定書の必要性を痛感したのである。ゆえに、組合に対して会社は昭和六三年一〇月一四日に組合掲示板を貸与する旨の回答をしているが、その場合には会社は協定の締結を条件としたのである。
協定の締結は他組合にも求め、あるいは求めていくのであって、殊更、組合だけに協定書を求めたものではない。現に連合産労とは組合に会社が提示したものと同様の協定書を平成元年七月二〇日付で締結するに至っている。連帯労組については現在争議中であり協定の締結交渉ができる状態ではないが、協定の締結を求めていくという会社の方針には変わりはない。
以上のような事情から明らかなように、会社には組合掲示板貸与問題について、組合を差別的に扱おうという意図は全くないのである。
3 不当労働行為の成否
使用者は本来、組合事務所、掲示板の貸与の義務を負うものでないことは法律上も明らかであり、使用者の自由に任されているということができ、よって労働組合による企業の物的施設の利用は労使間の団体交渉による合意で決めることが望ましいと考える。
しかしながら、同一企業に複数組合が存在する場合においては事情が変わってくる。使用者は、合理的な理由がないかぎり、すべての面で各組合に対し中立的な立場をとり、その団結権を平等に承認、尊重すべきである。会社は労働組合の形態、人数の多少、運動路線のいかんにかかわらず労働組合を平等に扱うべきであると考える。
ところで本件についてみると、会社は他組合には組合事務所、掲示板を貸与しているが、組合には貸与していない。ここに他組合とのあいだに取扱いに差異が認められる。会社が一方の組合に組合事務所、掲示板を貸与しながら他の組合に貸与を拒否することは、合理的な理由が存在しないかぎり、不当労働行為に該当すると解される。したがって、会社のこのような取扱いに合理的な理由があるかどうかについて以下検討する。
(1) 組合事務所について
ア 組合事務所については、会社は分会員が二人であるからその必要はないと主張する。しかし、組合との団体交渉の中で会社は具体的に組合員が何人以上であれば貸与できるかを明確にしていない。連合産労に対しては、昭和六一年九月に栗東工場の組合員が一人になった当時、会社は一人組合には組合事務所が不要であるとして組合事務所の返却を申し入れた事実はあるが、組合員が一人のままで平成元年五月まで二年半にわたり貸与してきた。そして平成元年五月一三日になって会社は連合産労に栗東工場の組合事務所を返却させたが、この時期になって組合事務所を返却させたことについて会社は従前からの交渉がやっと妥結したからだと主張する。しかし、組合事務所のこの返却は、交渉経過や交渉時期を勘案すると、本件申立てにかかる組合の主張を見越しての返却であると認めざるをえない。また、昭和六一年九月に四人で結成された連帯栗東分会に対しては、争議行為に屈服した形であったにせよ、会社は事実上組合事務所を貸与しているのである。思うに、組合事務所の必要性は組合員の多少によるものではなく、労働組合の存在そのものにかかわってくるものである。
イ 会社は、組合事務所の必要性について、組合内部の個別的な事情を知りうる立場にないし、これらの事情について調査すべき立場にもないと主張しているが、組合事務所が労働組合にとってその活動上重要な意味を持つことは明白である。よって、組合事務所がないために組合がこうむる不利益は大きいものといえる。
ウ 会社は会社施設には組合事務所に適当な場所はないと主張する。組合は連帯労組事務所付近の倉庫や更衣室、卓球室等を示して貸与を申し入れたが、会社はいずれも他の使用目的があり、貸与は不可能であると主張する。しかしながら、前記第1、2、(1)および(2)で認定したとおり、会社は過去において必要の都度新しく組合事務所を設置したり、倉庫を改装して貸与している経緯がある。また、組合の指摘する倉庫等を会社が現在使用しているとしても、大津工場の規模等や倉庫等建物の利用状況を考慮すると、大津工場内において組合事務所の場所が全くないとは言い切れない。
エ ところで組合事務所が他組合に貸与された経緯をみてみると、連帯栗東分会の組合事務所に関しては争議行為が発生した経緯はあるものの、それ以外に、連帯労組、連合産労に組合事務所が貸与された時には、会社は団体交渉において問題なく貸与する協定を結んでいるのであり、また貸与に関し条件を設定するということはなく、いわば無条件に貸与しているのである。さらに、前記第1、2、(11)で認定したとおり、会社は他組合の大津工場の組合事務所に郵便ポスト、電話を設置し、電話については電話の基本料金、通話料を負担しているのである。ところが組合に対しては、団体交渉においては人数の問題等を取り上げ再三の要求にもかかわらず拒否の態度をとったままであり、また、場所を積極的に物色しようとした様子も伺われない。
組合事務所について以上の事情を総合的に判断すると、会社が組合に対し組合事務所を貸与しないことについて合理的な理由があるとはいえない。
(2) 組合掲示板について
ア 会社は、組合掲示板について組合に対し、連帯労組との争議行為を理由に協定の締結が先決であるとして会社協定書案を提示し、それに応じなければ組合掲示板を貸与しないと主張している。しかしながら、労使紛争のために協定の締結の必要性を感じたという会社の主張は組合に組合掲示板を貸与するにあたって関連性を有するものではなく、それは連帯労組との間の労使紛争において問題となっているものである。したがって、組合との間において貸与と同時に協定を締結し解決をはからなくてはならないものとはいえない。
イ また、会社は協定の締結を他組合にも求め、あるいは求めていくものであって、殊更、組合にのみ求めたのではないと主張する。確かに連帯労組、連合産労に対しては締結を求め、現に連合産労とは協定を締結しているが、会社協定書案提示の時期については、組合に対しては昭和六三年一〇月一四日であったところ、他の二組合に対しての文書通知は本件申立て後の平成元年四月一四日になってからである。さらに連合産労とは同年七月二〇日に協定を締結しているが、連帯労組との間においては争議行為が継続中で、協定が締結できない状態で組合掲示板が貸与されていることになっている。しかし翻って考えてみると、会社は他組合に組合掲示板を貸与したときは無条件であり、その後も無条件で貸与してきたものであるのに対し、組合については貸与の条件として協定の締結を求めているのであり、このことは差別的な取扱いと言わざるをえない。
ウ ところで他組合に対して組合掲示板が貸与されるに至った経緯をみてみると、団体交渉において問題なく貸与されているが、組合の貸与要求に対して会社は団体交渉において会社協定書案に固執するのみで、組合からの対案の提示にもかかわらず応じようとしなかった。また、組合掲示板は少数組合といえども必要性が認められることはいうまでもない。
組合掲示板について以上の事実を総合的に判断すると、会社が組合掲示板を貸与しないことについて合理的な理由があるとはいえない。
(3) 救済方法について
請求する救済内容として、組合は、組合事務所について、大津工場内の特定の倉庫またはこれに相当する会社施設の貸与を求めている。当委員会は、上記で述べたとおり、他組合と差別して組合に組合事務所を貸与しないのは不当労働行為であると認めるが、組合事務所を貸与するにあたっての設置場所等の具体的条件については、労使の実情に即して自主的に決めることが望ましいと考える。
また、組合掲示板について、組合は、大津工場内の食堂の壁面に、縦九〇センチメートル横一八〇センチメートルの組合掲示板の貸与を求めている。組合が、前記第1、3、(6)および(7)で認定したとおり、会社に対し具体的な場所を示し要求したところ、会社はこれを認めているものの協定書を持ち出した経緯がある。このような経緯からすれば、組合の要求する場所に貸与することについては、会社に特段の支障があるとは思われない。よって、会社はすみやかに組合掲示板を貸与したうえ、別途利用上の条件について労使協議のうえ取り決めるべきであると考える。
(4) 結語
以上の理由によって、他組合にのみ組合事務所、掲示板を貸与しながら、組合には貸与しないことについて合理的な理由がなく、本件については組合の弱体化をはかることを意図した支配介入であり、労働組合法第七条第三号の不当労働行為と認めざるを得ない。なおポストノーティスについては、主文命令によって救済の実を十分に果たしうると考えるから、特に必要とは認めない。
よって当委員会は、労働組合法第二七条および労働委員会規則第四三条に基づき、主文のとおり命令する。
滋賀県地方労働委員会
会長 越後和典
別紙(二) 命令書
主文
1 初審命令主文中、第1項なお書き及び第2項を削り、第3項を第2項とする。
2 その余の再審査申立てを棄却する。
理由
第1 認定した事実
当委員会の認定した事実は、本件初審命令の理由第1の認定した事実のうち、その一部を次のように改める以外は当該認定した事実と同一であるので、これを引用する。この場合において、当該引用する部分中「被申立人」を「再審査申立人」と、「申立人」を「再審査被申立人」と、「本件審問終結時」を「初審審問終結時」と、「当委員会」を「滋賀県地方労働委員会」と、「本件申立て」を「本件初審申立て」と、「本事件」を「本件初審事件」と読み替える。
1 1の(2)の「その分会の組合員は」の後に「初審審問終結時」を加える。
2 2の(11)を次のように改める。
(11) なお、会社は、大津工場における連帯労組及び連合産労の組合事務所に郵便ポスト及び電話機を設置し、初審審問終結時まで電話の基本料金及び通話料を負担していた。
3 3の(5)中「連帯労組事務所付近の倉庫の場所」を「特定の倉庫の場所等」に改める。
4 3の(13)中「削徐」を「削除」に改める。
5 3の(14)を(15)とし、(13)の後に次のように加える。
(14) なお、組合は、会社との団体交渉に際しての打合わせや上部団体との会議等の場所として、他組合の組合員等の会社従業員らが自由に出入りすることができる会社内の待機室若しくは更衣室又は松木らの通勤用乗用車の車内等を使用していたほか、団体交渉等における労使間の応酬に必要な文書、資料等の作成を松木らの自宅において、また、分会の文書の保管を同人らの自宅及び通勤用乗用車内において行わざるをえない状況もあった。
6 4に、(6)、(7)及び(8)として次のように加える。
(6) 平成元年一一月一六日以降、会社は、大津工場及び栗東工場における連帯労組の組合事務所に設置していた電話機について、その使用料金が異常に高額になったことを理由に、使用を中止する措置をとった。
(7) 会社と組合は、平成二年二月二六日、組合掲示板の使用について合意に達し、「組合掲示板に関する協定書」を締結し、同年四月一八日、組合の組合掲示板が設置された。
(8) 平成二年五月二四日、組合は当委員会に対し同月二一日付け文書で審査の対象は組合事務所の問題に絞られる旨上申し、同年六月四日、会社は当委員会に対し同月一日付け文書で初審命令主文第2項の組合掲示板の件についてはこれを履行した旨報告した。
第2 当委員会の判断
会社は、組合事務所等を他の二組合に貸与する一方、分会員が二人であること等を理由として組合への貸与を拒否したことについて、これを不当労働行為に当たると判断した初審命令を不服として再審査を申し立てているので、以下判断する。
1 組合事務所の貸与について
(1) 会社は、同一企業に複数の労働組合が存在する場合、使用者は、労働組合の人数の多少にかかわらず労働組合を平等に扱うべきであるとした初審命令の判断は誤りであり、そもそも平等原則とは「等しき者は等しく扱う」ことであって前提条件が著しく異なるものを等しく扱うことではない、組合員数に多少のある労働組合間では便宜供与の必要性等に差があるところ、本件の如き僅か二人の分会には組合事務所の必要性は著しく低く、組合事務所の貸与に関し、形式的に他組合と平等の取扱いを要求することは、かえって実質的に差別取扱いを強いるものであると主張する。
(2) しかしながら、この点についての当委員会の判断は、初審命令理由第2の3の(1)のアからエまでのうち、その一部を次のように改める以外は、当該部分と同一であるので、これを引用する。
① ア中「組合事務所については、」から「主張する。しかし、」までを削り、「組合との団体交渉の中で会社は」を「会社は、組合との団体交渉の中で」に、「貸与できるかを明確にしていない。」を「貸与する考えなのか、具体的な基準を明確にしていない。」に、「本件申立てにかかる組合の主張を見越しての返却であると認めざるをえない。」を「同年三月三〇日に行われた本件申立てに係る組合の主張に対抗するための返却であり、本件申立てがなければ、かくもスムーズに返却がなされたか、疑わざるをえない。」に改め、同項中「思うに、」以下を削る。
② イを次のように改める。
イ 思うに、組合事務所の必要性は、組合員数の多少によるものではなく、それが会議、連絡等組合活動の拠点として果たす役割の重要性に求められるのである。会社は、労働組合の組合員が二人の場合には四人の場合に比して独占的スペースを必要とする必要性が明らかに低いというが、組合員数の多少によって組合事務所の面積の大小等に影響があることをこえて、組合事務所の必要性それ自体に大きな差異が出ることの根拠を明らかにしていない。前記第1の3の(14)で認定したとおり、大津工場において組合の組合事務所がないために団体交渉の前後の打合わせ等分会に係る組合の活動に支障が生じたことは明らかであり、その他の日常活動の点においても、組合事務所が貸与されている他組合と比べ大きな不利益を受けていることは、容易に想像できるところである。したがって、組合の分会員が二人であることを理由として組合事務所の必要性が著しく低いとする会社の主張は、採用できない。
③ ウを次のように改める。
ウ なお、前記第1の3の(2)及び(5)で認定したとおり、会社は、昭和六三年四月一九日の団体交渉で組合事務所を貸与する金も場所もないと主張し、さらに、同年九月二六日の団体交渉や後日開催された団体交渉でも、場所がないとの主張を繰り返えすとともに、組合の指摘する倉庫等を、現在他の目的で使用しているとして貸与を拒否した。しかしながら、前記第1の2の(1)及び(2)で認定したとおり、会社は他組合から貸与の申出等があったときには、その都度新しく組合事務所を設置したり、倉庫を改装して貸与している経緯もあり、大津工場内において組合事務所として貸与する場所が全くないとは言えない。
④ エ中「前記第1、2、(11)」を「前記第1の2の(11)」に改める。
(3) 以上のとおり、会社が大津工場内において他組合に対しては組合事務所を貸与しながら、組合に対しては二人の分会員では貸与の必要性が著しく低い等の理由で組合事務所を貸与しないことには、合理性がない。結局本件は、会社が、複数組合の併存する下では中立を保持すべきところ、これに反して平等に組合事務所を貸与しようとせず、組合を併存する他組合と差別したものであり、労働組合法第七条第三号の不当労働行為に当たるとした初審判断は、相当である。よって、当委員会としても、その救済として、会社に対し組合に組合事務所を貸与すべきことを命ずるものであるが、その貸与条件については貸与に伴って当事者間において協議決定すべきことは当然であるので、初審命令主文第1項を主文第1項のとおり変更することとする。
2 組合掲示板の貸与について
会社は、組合掲示板の貸与に係る初審命令についても、これを不服として再審査を申し立てている。しかし、当該申立て後、前記第1の6により追加した初審命令の理由第1の4の(7)及び(8)で認定したとおり、平成二年二月二六日、組合との間で「組合掲示板に関する協定書」が締結され、同年四月一八日に組合の組合掲示板が設置され、かつ、会社から同年六月一日付け文書をもって当委員会に対し、初審命令主文第二項を履行した旨の報告がなされている。これについて組合からも、同年五月二一日付けで当委員会に対し、本件の審査対象は組合事務所の問題に絞られる旨の上申がなされている。
かかる一連の事態の推移により、本件の組合掲示板の貸与に関しては事実上解決しているものと認められる。したがって、組合からの上記救済申立てに係る初審命令主文第2項は、その基礎が失われ、これを維持する必要性がなくなったので、主文第1項のとおり削除することとする。
以上のとおりであるので、主文のとおり変更することを相当と認めるほかは、本件再審査申立てについては理由がない。
よって、労働組合法第二五条及び第二七条並びに労働委員会規則第五五条の規定に基づき、主文のとおり命令する。
中央労働委員会 会長